悲しいニュース
先般、噂で聞いて信じたくなかった悲しいニュースが、本当になってしまったようなので一言書きます。
私が2004年から約2年間お世話になったエスクァイア日本版が、なんと休刊を発表しました。
エスクァイア日本版 休刊のお知らせ(公式ページ)
初めて聞いたときは、とてもショックで、「信じたくない」、「嘘であって欲しい」と心底願いましたが、それも虚しく24日に正式発表されてしまいました。
先般、私が在社時にリニューアルプロデュースさせていただき、退社後に応募数日本一になったと聞き誇らしく思った「エスクァイア デジタル写真賞」の終了を聞いたときも大きなショックでしたが、
本誌自体の終わりをこんなに早く聞くとは驚きです。
TBSに関わる決意をした2000年から既存のマスメディアの崩壊を予期し、広告収入の多様化や広告外での収益化の確立として、コンテンツマルチユースの実践を自分なりに行ってきましたが、今年の嵐は相当大きいようです。
私の持論は、メディア崩壊の原因は外的要因よりも寧ろ、内部に抱える体質改善が行われない限り、本当の意味での治癒は果たせないと思っていましたが、私が入社した当時のエスクァイアは見えない力というか、経済情勢とは無縁の安全地帯にいるかのような、文化や芸術というある意味非常に強い鎧を身にまとい、バランス感覚の優れた不思議なメディアでした。
ですから、自分の予測の対象はどちらかと言えばマスメディアに向いたモノであり、エスクァイアのような文化的な、豊かさを「じわっと」伝えるようなセグメント媒体には当てはまらない、、、いやそうあって欲しい、と考えていましたので、真っ先にエスクァイアの休刊を聞くとは思ってもいませんでした。
そしてまた、別なラグジュアリーマガジンの休刊情報が入ってきました。
まだ雑誌名は明かせませんが、続くのか! とこれもショックに追い打ちです。
放送局で働き強く感じたことは、「時代に応じてインフラは変化していくだろう、しかしコンテンツを取材し、編集し、発信する。という機能の価値は失われないだろう」との確信です。
つまり、放送免許制で強く守られ肥大化した放送局は、護送船団の最後の砦に思えましたし、規制が緩和されなくても、ネットや携帯という新しいメディアにその力を奪われていくと思いましたが、エスクァイアのような雑誌媒体という古く思えるアナログメディアでも、世界中から優良なコンテンツを探り出し、考え抜かれた編集をされ、無駄な贅肉を削るかのようなアートディレクションで読む者を魅了する媒体の価値は揺るがないだろうと思っていました。
それだけに、優秀な編集者や愛情の深いスタッフ達が真摯に守ってきた媒体の終焉には、深い悲しみを感じます。ひとつの文化終わりすら感じてしまいます。
<アメリカの創刊号>

この鎧を突き刺すほどの原因は、無闇に肥大化させたり急に終わりにしたり、ものごとを経済価値でしか判断できない、ナウシカに出てくる巨身兵のようになってしまった者なんだろうと思います。
思わず長文になってしまいましたが、エスクァイア日本版の発刊は残り3号だそうです。
これを読んだ皆様がエスクァイア日本版を手に取っていただき、彼等の表現力の一端を感じていただけたら幸いです。
今でも関われたことを誇りに感じています。
エスクァイア日本版 最新号を見る
(八村大輔)
私が2004年から約2年間お世話になったエスクァイア日本版が、なんと休刊を発表しました。
エスクァイア日本版 休刊のお知らせ(公式ページ)
初めて聞いたときは、とてもショックで、「信じたくない」、「嘘であって欲しい」と心底願いましたが、それも虚しく24日に正式発表されてしまいました。
先般、私が在社時にリニューアルプロデュースさせていただき、退社後に応募数日本一になったと聞き誇らしく思った「エスクァイア デジタル写真賞」の終了を聞いたときも大きなショックでしたが、
本誌自体の終わりをこんなに早く聞くとは驚きです。
TBSに関わる決意をした2000年から既存のマスメディアの崩壊を予期し、広告収入の多様化や広告外での収益化の確立として、コンテンツマルチユースの実践を自分なりに行ってきましたが、今年の嵐は相当大きいようです。
私の持論は、メディア崩壊の原因は外的要因よりも寧ろ、内部に抱える体質改善が行われない限り、本当の意味での治癒は果たせないと思っていましたが、私が入社した当時のエスクァイアは見えない力というか、経済情勢とは無縁の安全地帯にいるかのような、文化や芸術というある意味非常に強い鎧を身にまとい、バランス感覚の優れた不思議なメディアでした。
ですから、自分の予測の対象はどちらかと言えばマスメディアに向いたモノであり、エスクァイアのような文化的な、豊かさを「じわっと」伝えるようなセグメント媒体には当てはまらない、、、いやそうあって欲しい、と考えていましたので、真っ先にエスクァイアの休刊を聞くとは思ってもいませんでした。
そしてまた、別なラグジュアリーマガジンの休刊情報が入ってきました。
まだ雑誌名は明かせませんが、続くのか! とこれもショックに追い打ちです。
放送局で働き強く感じたことは、「時代に応じてインフラは変化していくだろう、しかしコンテンツを取材し、編集し、発信する。という機能の価値は失われないだろう」との確信です。
つまり、放送免許制で強く守られ肥大化した放送局は、護送船団の最後の砦に思えましたし、規制が緩和されなくても、ネットや携帯という新しいメディアにその力を奪われていくと思いましたが、エスクァイアのような雑誌媒体という古く思えるアナログメディアでも、世界中から優良なコンテンツを探り出し、考え抜かれた編集をされ、無駄な贅肉を削るかのようなアートディレクションで読む者を魅了する媒体の価値は揺るがないだろうと思っていました。
それだけに、優秀な編集者や愛情の深いスタッフ達が真摯に守ってきた媒体の終焉には、深い悲しみを感じます。ひとつの文化終わりすら感じてしまいます。
<アメリカの創刊号>

この鎧を突き刺すほどの原因は、無闇に肥大化させたり急に終わりにしたり、ものごとを経済価値でしか判断できない、ナウシカに出てくる巨身兵のようになってしまった者なんだろうと思います。
思わず長文になってしまいましたが、エスクァイア日本版の発刊は残り3号だそうです。
これを読んだ皆様がエスクァイア日本版を手に取っていただき、彼等の表現力の一端を感じていただけたら幸いです。
今でも関われたことを誇りに感じています。
エスクァイア日本版 最新号を見る
(八村大輔)
<<失敗から学ぶ。。。医療編 | HOME | 愛知の新型は弱毒性・・・とは言えH7型って何?>>
COMMENTS
COMMENT FORM
TRACKBACK
| HOME |